数多くの医学書を残されたヒポクラテスの言葉。
「心を別としと身体を治そうとしてはならない」

4週間前に現れた目の周り、口の周りの湿疹と腫れ。
必ず出席しなければならないこと以外は出ごとを控え、少し休憩をしながらゆっくりと過ごし、最近の自分を振り返りながら行為や心を改めた一週間。薬の力を借り症状も落ち着いて治ったかのようでしたが…
しかし、薬を止めると再び症状は現れました。

薬を止めて数日後、じわじわとかゆみが増し、ピリピリと肌は敏感に赤く発疹。
そして次第に瞼がお岩さんのように腫れ、目の周囲は水分がなくなりガサガサになった。
まさか、展覧会当日にこんなことになるとは…。
痛くて化粧ができないので、初日から3日間はサングラス姿でお客様を迎えることになりました…。

4週間前の振り返りはまんざらではなかったと思うけど更に深いところに原因があるということかな…、と、もう少し自分を見つめてみる。周囲で起こる様々な出来事を対応したり手放したりしながら、自然な心でいられるように心がけていたつもりでしたが、深く沈んだ内なる心情は解決されないまま、わかりやすく最近起こった出来事に刺激されて再び心が反応したのだと思います。

「えっ?」「なんでそんなこと思うの?」と、他人の様々な感情に対していちいち反応することはない。
妬み、嫉み、やきもち、他人への干渉など、周りで起こる様々な出来事に対して「…」と思うことには近づかないようにしいる。
でも最近の現象は…。
「気にしない」「打ち合わない」と思うことに距離を置こうとすると、もっと聞きなさい、その考えも受け入れなさい、と言わんばかりに必要に目に見え、耳に入ってくる。
それに対して「気にしない、気にしない」と思いながら過ごしていること自体、既に気にしている自分…。
まったく…心はそれに反応してるじゃない…?

かゆいところが気になって触ったり掻きむしったりしているようなもの。そして更にその痒みに苦しむことになる。
それが今回の症状かな…。
最近、消化できないいろんな出来事について、夫の正治さんはよく私を見ています。
「気にしすぎ!」と強い口調で一喝されました。ぐさり刺さりました…。

何が正しいとか、自分はそうは考えない、とか、そういうこと自体も考えない、ただそのままを、素直にその言葉を一旦受け入れる、そして自分に合わない考え、必要じゃないものは、捨てる。

今「捨てる」を実践をしています。

病気が起こるのは、それが起こるだけの確かな原因があり、その原因が解決されない限り完全に治ることはない。
薬の力を借りて症状を抑えることはできても、また別の場所に症状は現れる。
合わないと感じるのは非顕在世界にある何か原因が隠れている。
それは今世の記憶だけでなく、前世からの記憶もあるかも知れない。
その潜在的な見えない世界が顕在化したのが病気であったり、現象化した出来事。
自分が蒔いた種を刈り取る時が来たということ。。。

病気も、今、症状がでるということは、それに向き合う時がきているから。
病気はそれを教えてくれています。

以前読んだ中村天風の本の中に書いてあったことを思い出しました。
カリアッパー師のもとで修行中、天風さんが結核の病気を気にしすぎていた時のこと。
あまりに病気を気にするので、それがどれだけ治るのに影響があるのか、カリアッパー師は犬と天風さんが実際にどちらが早く傷が治るか、犬の足をトョキンと刃物で切り、同じように天風さんの手もチョキンと切って治りっこで競わせる、ということが書かれていました。
犬はその時は痛がったものの、その後は傷口を気にすることもなく時々傷口をなめる程度で1週間で治っていましたが、中村天風さんは、化膿したらどうしよう、熱が出たらどうしようと、なりもしていない内から心配し、1週間後、傷は悪化し治っていなかったという話です。
カリアッパ―師のもとでの修業がなかったら、中村天風さんは病気を克服することはできなかったと語られています。
そして「心」の在り方がいかに大切かということ。

心と病気について、心と現象(顕在世界)について、もう少し深く見つめていこうと思います。

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